【乱読日記】VRはあの頃、まだまだ未来だった。

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私的に最近のニュースで感銘を受けたのが、「自宅を見たい」という緩和ケア病棟で過ごす終末期のがん患者のために、家族が360度カメラで自宅を撮影し、VRヘッドセットで体験させてあげたという記事です。

本人目線で、歩いているように、寝室、庭、愛車、さらにはいつも座っていたソファに座り好きなゴルフ番組にチャンネルを合わせたりした映像とのこと。

headlines.yahoo.co.jp

ゲームや映画などを楽しむだけでなく、こういうふうに使われるところにものの有用性というものを強く感じて、なんだかジーンときました。

ちょうど最近、映画化され、話題となっている東野圭吾さんの『パラレルワールド・ラブストーリー』を読んでいたときに、そのニュースを見たから余計そう思ったのかもしれません。1995年に単行本として発表されたこの作品、もう20年以上も前の作品で、文庫化された時に読みましたが、20年ぶりぐらいに再読しました。

総合コンピューターメーカーに勤める主人公たちはコンピュータ技術を研究していて次世代の仮想現実や記憶パッケージに関する研究をしていて、VRについてもいろいろ説明する部分がありますが、僕がこの小説を初めて読んだ頃はバーチャル・リアリティが実用されるなど、未来の話だと思っていたわけですが、それが今ではとても身近なものとなってしまっているわけで、それがこの映画が今映画化されても古びた感じがしないで観れる部分かなと思いました。もちろんその技術はこの頃から研究され、一部形になってはいたわけですが、現在のような完成度ではもちろんなかったと思います。

そんなSF的な要素の反面、この作品では普遍的ともいえる男女の三角関係が主題として描かれていて、人間の本質的な心理面を怖いぐらいに深くえぐっています。それはまさに夏目漱石の『こころ』に通じる、東野圭吾版『こころ』ともいえる内容となっています。

この作品は記憶が鍵を握るのですが、実は僕の記憶の中ではこの作品はタイムスリップもので、過去にもどって競馬で当ててお金を手に入れるというようなエピソードがあると思っていたのですが、そんなストーリーとはまったく違っていました。僕の中でも記憶の改編が行われていたのだろうか。

しかし、その記憶が混じった小説はなんだっただろう?と本棚を探してみているところです。

 

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