ソクラテスの弁明 クリトン / プラトン
どんな本?
彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていないからである。されば私は、少くとも自ら知らぬことを知っているとは思っていないかぎりにおいて、あの男よりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる。
では、ソクラテスとは、いつの時代の人で、どんな場面でこの言葉を語ったのでしょうか。
それは、紀元前399年のアテナイ(ギリシャの首都アテナの古名)、不信心にして新しい神を導入し、かつ青年を腐敗させた者として訴えられ、法廷の場で、このことを言ったのです。
紀元前の話を読めるって、よく考えるとすごいですよね
古典的な名著ながら、哲学好きの人以外は、教科書の中で知る程度で、ちゃんと読んだことがある人は実はそれほど多くないのではないでしょうか。
実は私もその1人で、伊坂幸太郎さんの『逆ソクラテス』に触発されて読んでみた次第です。
若干50ページ程度の法廷における弁論シーンを描いた「ソクラテスの弁明」と、30ページ弱の刑の執行を待つソクラテスに脱獄を勧めるクリトンとソクラテスの対話「クリトン」とページ数はわずかながらも読み応え十分な一冊です。
“自己の所信を力強く表明する法廷のソクラテスを描いた「ソクラテスの弁明」、不正な死刑の宣告を受けた後、国法を守って平静に死を迎えようとするソクラテスと、脱獄を勧める老友クリトンとの対話よりなる「クリトン」。ともにプラトン(前427‐347年)初期の作であるが、芸術的にも完璧に近い筆致をもって師ソクラテスの偉大な姿を我々に伝えている。”
(岩波文庫表紙より)
この本の読みどころ
これはネタバレとも言えますが、あらすじにもあるとおり、
ソクラテスは、法廷で有罪を受け、死刑宣告されてしまいます。
でも、もし許しを請うたり、自分を偽って少しでも自分の考えをまげていれば死刑は免れたかもしれません。
でも、有罪をおそれず、自分の信念をまげずにつらぬき通し、その気持ちを弁論するのですが、このまっすぐさが今も読み継がれる理由かと納得させられました。
私的には「クリトン」における脱獄を勧められるも、それを断る姿や理由にもシビれました。
ソクラテスさん、あんたカッコいいよ、と思わず言いそうになるぐらい。
ちなみに「ソクラテスの弁明 」はソクラテスの弟子プラトンが法廷で見たままを、記憶を頼りにそのまま描いている一方、「クリトン」は印象深く叙述するために出来事をうまく要約して描いているとのことで、確かにドラマチックであると思います。
その辺は、巻末の解説を読むとより、知識が深まります。
紀元前の偉人の話とはいえ、本質は今も昔も何も変わらないし、実は私たちと同じ人間なんだということが実感させられます。
読み継がれる古典には、それだけの理由があります。
今の混沌とした世の中だからこそ、正しさとは何かをあらためて考えされられる一冊でした。
興味のある方はぜひ。